【事例紹介③】南木曽町梨子沢 災害復旧事業

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平成26年7月9日、台風8号の影響により、長野県木曽郡南木曽町読書地区の梨子沢(木曽川支流)で土石流が発生し、甚大な被害を受けました。
当社は、長野県と南木曽町からの委託を受け、橋梁、砂防えん堤、梨子沢流路工の被災状況の調査、及び復旧計画を行いました。
以下、業務の概要をお伝えします。

害の概要

●発生場所:長野県木曽郡南木曽町 読書(よみかき) 三留野(みどの)地区 »Map
●発生日時:平成26年7月9日 17時40分頃
●土石流発生箇所:梨子沢、大沢田川
●人的被害:死者1名、負傷者3名
●人家被害:全壊10棟・一部損壊3棟
※長野県危機管理部「平成26年台風第8号に伴う大雨災害による県内への影響について」より

 >> 詳細については、国土交通省中部地方整備局発表の記事をごらんください。

被害を受けた梨子沢下流域の全景写真
土石流により被害を受けた梨子沢下流域の全景(国交省中部地方整備局 速報写真を一部加工)

  被災した橋梁( :当社関係分 県道橋1,町道橋3)

  被災した砂防えん堤(長野県管理)

状況と復旧工事 ― ①梨子沢橋(県道橋)

※画像をクリックすると拡大します

 被災の状況 

 旧橋は、3本中2本の桁が大破し、特に最上流の主桁は土石流による損傷が大きく原型をとどめていなかった。

梨子沢橋の被災状況写真

 被災直後と現在の梨子沢橋 

写真 被災直後の梨子沢橋

被災後の梨子沢橋 

旧橋諸元:RCコンクリートT桁橋
     橋長L=12.1m 幅員W=5.5m 

写真 工事中の梨子沢橋

工事中の梨子沢橋

仮設橋の設置作業

写真 現在の梨沢橋
現在の梨子沢橋(2017年8月撮影)

新橋諸元:プレテンPC単純床板橋
     橋長L=12.1m 幅員W=5.5m
     重力式橋台 直接基礎

災状況と復旧工事 ― ② 町道橋

写真 被害直後の町道橋
県道橋から上流側をのぞむ
町道橋3は橋台は残るものの、桁は土砂により流出していた。
写真 完成後の町道橋
完成後の町道橋(2017年8月撮影)
手前が県道橋で,奥に見えるのが町道橋

災状況と復旧工事 ― ③ 流路工

写真 被災後の流路工
被災後の町道橋3付近
写真 完成した流路工
完成した流路工を上流側からのぞむ
(2017年8月撮影)

災害状況と復旧工事 ― ④ 砂防えん堤

写真 被災後の砂防えん堤
被災後の東町砂防えん堤
梨子沢の本支流合流点付近にあたり、破損が著しい。
奥のスリット式えん堤は径1~3mの岩塊を多量に捕捉していた。
写真 完成した東町砂防えん堤
完成した東町砂防えん堤(2017年8月撮影)

術者インタビュー

東町砂防えん堤 設計 (本社技術部 宮澤 圭)

えん堤の復旧計画では、本堤・副えん堤の水通し幅は、元のえん堤とほぼ同じ18mとしました。
副堤より下流側は、既設流路工でも損傷が少なかった部分の帯工に擦り付けましたが、河床幅が8mしかありません。
副えん堤から既設帯工まで10.5mの区間で河床幅の差10mを擦り付けなければならず、不格好で苦労しました。

災害時における現地調査 (本社技術部 床尾 亮一)

災害の状況報告は、スピードと正確さが求められます。
梨子沢は、川が急こう配であるため構造物が多く、災害後はそのほとんどが被災していました。
それら全てを写真にとり、損傷状況を調べ、資料を作成するのは大変な作業でした。
通常、災害調査では、明るいうちに現地調査を行い、暗くなってから会社に戻り資料作成を行います。

時間が限られているなかで、松本から南木曽の往復4時間が移動に費やされるのは、正直辛かったです。

また、調査時期が夏でしたので、とにかく暑かったです。
土砂災害なので道があったり無かったりしていました。
道も急でしたし、道が無くなっているところは川の中を歩きました。大きな石がごろごろしていて歩くだけでも大変な作業でした。

河川構造物については、「死に体(しにたい)」という言葉がよく現場で話題に上がったことを覚えています。
橋台や落差工などで、ぱっとみたところ構造物自体にはひどい損傷はないのですが、構造物の下や裏の土が土石流によって流れだし、ただ浮いている状態でその場所に留まっているのです(実際には隣同士でつながって、なんとかとどまっている状態なのですが)。
「死に体」と「生き体」の境界があいまいで、根拠づけに苦労しました。

今回の災害については、自分自身思うことがありました。
当地では、過去から土石流による被害が多く発生しています。
これは想像なのですが・・・
現在の集落がある場所は、その昔は谷になっていて、度重なる土石流によって埋まり、そこに集落が生まれたのではないでしょうか?
今回の災害は、集中豪雨を受けた梨子沢が、木曽川に向かって、本来の川筋にそって真っすぐに流れようとしたにすぎないのかもしれません。